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いいデザインと悪いデザイン?

東京五輪招致ロゴ

ここのところ、2020年の東京五輪エンブレムについて、問題になっていますね。自分がどうのこうの言う立場ではないのですが、デザインについて考えるいい機会なのかなとも思いますので、ちょっと書いてみます。

まず、デザイン関係の仕事に就きたいと思った時、誰でもがやることは、先人に学ぶ事です。自分がいいと思うデザインについて、模写、トレースし、何がこのデザインが素晴らしいと言わせるのかを学びます。建築学科においても、先人の名作図面をトレースすることは必須でしょう。つまり、表現された絵や写真、図面を超えて、その本質はどこにあるのかを考えなさいということです。本質を抽象化し、自分なりの表現で他の場面で使える方法を学びます。

能や茶道の世界で言う、「守・破・離」。一度は師匠の真似をし、自分の中に取り入れた上でそれを否定し、自分のオリジナルを考える。また、他の観点から言えば、「本当のオリジナルなどこの世に存在しないのだ」ということを前提としつつ、それでも自分のオリジナルを考える。

建築の世界でも、やはり先人の知恵に学ぶという事は、大変重要です。仮に、全てゼロから出発しろと言われたら、たかだか80年の人生の中で到達できる地平は、表現だけに限っても、人から評価いただく域に達することは難しいのだと思います。これはきっとデザインだけの話ではありません。技術にしても、自動車や物理学や医学の世界においても、先人の成果を学ばない人は、成果を作ることは出来ないのだと思います。

そして、今回の東京五輪のエンブレムですが、こんなに炎上してしまっているのは、私見では、あのエンブレムがいいと思う人が少ないことに原因があると思うんですよね。自分も、あのエンブレム。好きではないです。招致ロゴの方が遥かにいいと思います。

とすると、個人の評価、好き嫌いしかないデザインの世界でも、いいデザインと悪いデザインが存在することになります。盗作だとかという話を脇に置いておいても。ここから先の話は深いですよね。でも、今回の件で、何だか、多くの人に認められるデザインの要諦?があるような気がしてきました。きっとこれは、永遠の課題なんでしょうが。多くの方から評価されるデザインについて、考える必要がありそうです。

ダイヤモンドオンラインに竹井善昭という方が同じような視点で小論を載せていらっしゃいますので、ご紹介します。
http://diamond.jp/articles/-/77265
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建築人の愉しみ

箱根トイレ扉
この写真は、改修前の箱根プリンスのトイレのドアです。
何でこんな普通の写真をアップするのかって思うでしょ。

村野さんの事を書いていて、ふと思い出した事がありました。それは「建築人」の愉しみということです。「建築人」とは、設計者、施工者そして建築に興味を持つ人。単なるトイレのドアを見ても嬉しいんですね。それは、そこに村野さんの意図を感じるから。


それは、何故か。左がドアなのですが、写真を拡大してよーく見ると、右側の背の高い板の左端に、7ミリ位の違う材料が貼ってあって(大手:おおでといいます)、そこに溝状のヘッコミがあるでしょ。これは何故かというと、きっと村野さんは、普通だったら戸当たりを縦に1本入れるか、金物を使うかするのですが、いずれにしても見えてしまう。そこで、背の高い板に溝を掘って、戸当たりの代わりにしようと考えたのだと思うのです。

そうすると、作る方では、「先生、こんなに溝が浅かったら、建具がくるった時、隙間ができちゃいますよ。せめて10ミリ位ないと」それに対して、「いやいや、大手の厚みの中で納める(おさめる)のが美しいのだ。せめて6ミリにならないか」「うーん、厳しいですねー」とかなんとか、建築家と建具屋さんの会話が聞こえてくるのです。

これは、あくまで自分の想像なので、そんな会話があったかどうかは分かりません。でも、少なくても村野さんが何かをタクランダ?のは事実だと思います。こういう納まり詳細(ディテール)に、実は建築家の思い(何が美しいかと思っているとか)を発見することができます。箱根プリンスは今から43年前に竣工した建物ですが、何年前でも、美しいものは美しい。自分たち建築人は、ちょっとしたディテールに建築家のタクラミを感じ、どうしてこんな事をしたのかなーと考えます。それがとっても愉しいんですよね。きっと、名作と言われる本を読む愉しみに近いのかも知れません。

また、建築人には特徴があります。壁をペタペタ触ったり、テーブルの下を覗き込んだり、上を見上げてしばし動かなかったり。一見すれば、挙動不審者。でも、自分だけの性癖ではないような気がします。特に、興味のある素材には触りたがるのが特徴です。それがデートの時であってもです。よく「田舎の人みたいだから(って田舎の人なんですが)、その癖ヤメテ!」と言われていました。

でも、この癖だけは治らないと思うな。だって、それが自分の愉しみなのだから。
建築に興味を持つと、まちの中が宝石箱になりますよ。

個人情報保護法と写真

カメラ
前にもちょっとお話しましたが、ちょっとだけ市民活動に関わっていまして、広報を担当しています。
そこで、ちょっと困っていることがあるんですよね。それは、「個人情報保護法」。あまり勉強していないので何だか分からないのですが。先日、小学生を対象として、夏休み宿題相談会を開催しました。そこで、その報告をホームページでやろうと思ったのですが、子どもの顔が特定できる写真は、それぞれの保護者の了解を得ないと、公にしてはいけないと言うのです。

確かに、理解できるところもありますが、写真それぞれについて、映っている個人全ての同意を得なければいけないのなら、集合写真なんて撮った日には、公表なんてできないでしょう。該当する写真を取りまとめ、それぞれの個人に掲載許可をとらねばいけないということなのでしょうか。事前に承諾を得ていればよかったのですが。

写真を含めて活動報告をするという事は大変重要なんだと思います。何のための法律なんだろう。
市民活動は活性化しろという。でも、個人情報は開示してはいけないから、全て許可をとれという。何がやりたいと言うのだ。

今の小学生は名札も付けないようですね。参加する小学生に対して、名前を呼んだ方がいいだろうと思って、名札つくろうって言ったら、それは現在では非常識だっていわれてしまいました。でもね、せっかく来てくれた小学生に名前でなく「君」とか「あなた」と言った方がよいのでしょうか。

法律はそれぞれに立法意思があります。でも一般人はそこまで思いが至りません。個人情報保護法があるから、あれもダメ、これもダメ。法律は、社会を豊かにするためにあるはずです。法律の本旨とかけ離れ、生きづらい社会にしているような気がしてなりません。

憲法にしても、表層的な部分だけでなく、その背景を考える事が必要なのだと思います。

ははは、また建築とは関係ない話でした。

建築士・設計士・設計者・建築家

architect.jpg

建築を設計する人を呼ぶのに、いろいろな呼び方がありますよね。建築士、設計士、設計者、建築家。今日はこの辺について。あくまでも私見ですが、書いてみます。

まず、建築士。これは、建築士法という国の法律によって定められた資格という事になります。具体的には、一級建築士、二級建築士及び木造建築士という資格があり、建築物に関し、設計、工事監理その他の業務を行う者をいうとあります。
つまり、建築士は設計をするだけの資格ではありません。工事監理だけの建築士もいます。建築を建てるためには建築確認申請が必要ですが、これは建築士がやらなければなりません。ただ、建築のコンセプトという部分で言えば、建築士である必要はなく、誰でもいいのです。それを、建築士が支え、図面にして確認申請を提出し、確認が降りれば(ってこんな表現=お上がお墨付きを下々に与えるみたいな表現は無いですよね)建築できる事になります。

都市伝説として、一級建築士の登録番号1番は田中角栄だという話がありますが、実際には第16,989号のようです。こんな事を書くのも、自分が尊敬する、白井さん、丹下さんは、一級建築士という資格が創設された時、それまで建築に携わってきた方はある条件の元、自動的に一級建築士になった訳ですが、「そんなものはいらない」と言って、資格を受け取らなかったと聞いています。いやーその気概たるや素晴らしい。「建築なんて、国から規定されるものではない、自由な精神が必要なのだ」そんな声が聞こえてきそうです。でも、今はだめですよ。建築士の資格は基本です。建築をやろうと思ったら、資格をとる位はできないとね。

そして、設計士。これは資格と近い言葉かなと思います。建築士を持っていて、設計をしている人が設計士なのだと思います。自分はあまりこの言葉が好きではないので、使いません。

次に、設計者。これは、設計する全ての人を指します。資格があろうが、無かろうが、設計した人は全て設計者でしょう。例えば、あなたが、ご自分の住まいのプランを描けば、立派な設計者だと思います。

そして、建築家。これが一番難しいかな。日本建築家協会という組織があるので、そこに登録している方は建築家と言えるかもしれません。登録の要件は正会員の推薦2名があればよいとなっており、自分がイメージする「建築家」とはちょっと違うかもしれません。自分が「建築家」と呼べる人は、建築に対する確固とした理念を持ち、実際に建築をつくってきた方々です。建築学生は、設計者でなく、建築家として認められることを目指して精進しています。つまり、「建築家」として認められる事が彼らのひとつの目標だと思います。そして、それは、自分で決めるものではなく、社会的な評価に委ねるものだと考えています。だから、自分から「建築家」って称する人達は、きっと建築家ではない場合が多いかなと思います。従って、誰が建築家なのか。これは難しい問題で、実はその設計者を評価する、個人個人に託されるものだと思います。

逆に訳が分からなくなってしまったかも知れません。でも、デザインとか設計とかってそういう世界なんだと思うんですよね。自分にとって価値ある設計をする人が「建築家」。それでいいのだと思います。そして、自分は「建築家」という称号は大切にしていきたい。自分は残念ながら、まだまだ設計者どまんなか。

自分が尊敬する「建築家」について、少しずつご紹介できれば嬉しと思っています。

設計と男と女

man and woman2

設計業界には定説があると言います。それは

「男の設計者は女性化し、女は男性化する」

つまり、設計をやっていると、男性は女っぽくなり、女性は男っぽくなる。周りを見回してみると、なるほど、ふんふん。当たらずとも、遠からじ。ですかね。

設計って、特に住まいの設計などは、どうやって料理をするか、手順を考えると食材はどこに置いとくのがベストか、ごみはどうやって捨てるのかなど、キッチンの事から、洗濯物はどこで洗濯して、どこに干すのか。お中元で貰ったビールはどこにしまうのか、などなど、奥さんとお話しして、主婦がやる事を一所懸命考える事になります。主婦の考える事をずーっと考えていくと女性化するのかな。確かに、ジャイアンみたいな奴はいないですね。ただ、仮に女性化したとしても、家に帰れば普通のオヤジ。家事を手伝うようになったという話は聞いた事がないので、悪しからず。

また、女性の場合、構造やらも考えなければいけないし、現場に行って殆どが男の職人さんに指示をしなければいけません。今は昔と違って現場の職人さんもみんな大変優しくなりましたが、それでも、現場が違っている時、「そこは違います。こうやって下さい。」と説明して、説得して、やってもらわねばなりません。職人さんはやり直しを一番嫌います。「そうやりたいなら、初めから図面にそう書いて来いよ」とか、言わなくても顔を見れば分かる。自分も若い時には大変なプレッシャーを感じたものです。こう考えると、女性が強くなるのは必然なのかもしれません。周りを見回すと、あーみんな強そうだな、なんて、ごめんなさい。

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プロフィール

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Author:shio93
ライト




栃木県佐野市で主に住まいの設計施工をしています。
Blueprint /
株式会社塩島工務店
栃木県佐野市久保町93
TEL 0283-22-1617

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